霊性 みんな他力、他力本願をキリスト教的に解説 浄土宗や浄土真宗で「他力本願」と言いますが、「みんな他力」で「他力本願がいい」という説明のため「他力」「他力本願」をキリスト教的に話してみたいと思います。私は出家して禅の曹洞宗の僧となり僧堂で暮らして修行しました。禅は「自力」のものと言われることが多いですが、私の場合は禅もそうは思っていません。 霊性仏教キリスト教
瞑想 私とは何か? ブッダの瞑想で悟れた私たちの本体 私とは何か? マハルシは最も重要な問いであると説いていましたが、僕は、ミャンマーでの修行でブッタの瞑想により得たのは、「私は私をみている者である」でした。私は体でもない、感覚でもない、思考でもない、心でもない、それらは私に見られているもの。修行でのヴィパッサナー瞑想は 瞑想霊性
仏教 曹洞宗の道元禅師の悉有仏性はより広い霊的解釈 仏教では悉有仏性(しつうぶっしょう)と言って、すべての生きとし生けるものは仏性を持っているとよく申します。しかしながら、日本の禅の曹洞宗宗祖の道元禅師は違って、これをそれだけではなくとらえておったそうです。私もそう思うのです。宇宙真理、宇宙のあり様の中にすべては生きている 仏教