仏教では悉有仏性(しつうぶっしょう)と言って、すべての生きとし生けるものは仏性を持っているとよく申します。
しかしながら、日本の禅の曹洞宗宗祖の道元禅師は違って、これをそれだけではなく、すべての生きとし生けるものは仏性の中にいるともとらえておったそうです。私もそう思うのです。

そして、前者のように悉有仏性をとらえる人は、すべての人の心はそもそも美しい善なる心なのだという価値観を持っていることが多いわけですが
後者のように悉有仏性をとらえていると、宇宙真理、宇宙のあり様の中にすべては生きているということなので、宇宙は人間の考える美しいやら善やらだけで成り立ってなんていやしないのです。
人間の価値判断での汚いやら悪やらも諸々あって、宇宙は成り立っておりますから、後者のように悉有仏性をとらえている者にとっては、そういうものもあるから成り立っているととらえるようになります。
ある人によってなされたいわゆる悪は、その人だけのものではなくて、悉有仏性の宇宙のつながりのなかでなされたこと、自分は直接にはしてはいないが自分も加担していることととらえるわけであります。
そうなりますと、もはや本当にだれのことも責めようがなくなるのであります。同じ悉有仏性の宇宙の今現在の哀しさであるのです。
また、ある人に起きた不幸は、自分のことでもあり悲しく、辛さは自分のことでもあり辛く、喜びは自分のことでもあり嬉しいのです。
生きとし生けるものが苦しみから解放されますように
生きとし生けるものが幸せでありますょうに